仮に他国が侵略してきたとした日本国内有事に、
ウェーイDQNがオラ助けろや自衛隊!命懸けで俺らを守れや!とか言われたら
命懸けで守る気になるわけがない
いやそれが仕事で給料手当貰ってるんだからするだろ
バカ
いいなータダでアフガン観光かあ、で襲われたら撃っていいの?
>>1
言うこと聞かないと言う意味は?
例えば集合地点に米国に頼んだバスが来られず、迂回した地点にたまたま移動可能だった一人だけが乗車できたと言う場合、それは言うことを聞かないのか? >>7
そもそも、渡航制限出てるような紛争国に民間人がなにしに行った?
自分勝手な正義感で現地のだれかにわずかな施しして、ヒーロー気取り?
うしろにケツをふかないといけない人らがいるってこと、己がそういう人らに危険を増やすどころか与えていることには気がつかないんかね? 解りやすい例が、川が増水してるっつってんのにBBQやってた例の奴だな
気持ちはわからなくもないが「仕事」に私情を挟んだらいかんよ
やりたくないならそのぶん給料を返納して拒否するならまだしも
馬鹿だって国民だよ、国民を守らない隊員のために国の税金無駄にしたくない
>>6
ダメかわからんけど
いい人と思われたい国は反撃しないかもな
日本だけじゃなくてどこでも
反撃しなくても、防御するだけでも
「やりあう意志あり」と勝手に見なす論理はどこか間違ってる気がする 世界のほとんどの国で、指示している立場の人は
(つまり>>1のいういう事聞かないバカは)
リムル以下
戦争できるけど、どこまでも命を守って無理するなと言って
リムルが出ていく
ちゃんと部下の能力を教育もしている
日本だったら、トップの代わりに上記のバカが出て行って守る気はない
部下の教育は、あからさまに拒否している
比べてわかる トップ自ら出ていくって、アニメと違って
現実はあまりないと思うんだよね
アニメであるか知らんけど「大将自ら出てはいけません」などのセリフはあった
この考え方は知られているんだけど、使いこなせていない
覚えていて、たまたま思い出したから言っているだけだ
思い出せないことのほうが多い、普段は全然思い出さない
だから、大将みずから出ていく
実際は、大将自ら出ていくのは、リムルみたいに強くてもない。
普通の人は分身できない。
現実に地球上で大将やった人は、アニメみたいな魔法の才能なしでやってるから
他人がオカルトを使うのを利用はする
日本はバカなので利用しないわけだ
存在しないから信じないと言っているようではダメで
超常現象とか、私ならあろうがなかろうがどうでもいい
利用できて、効果があるようならいい
どのように効果が出て、同使えそうか
存在していないから信じないというオカルト否定なんかどうでもいい
私が君主なら利用できれば利用する
ヒトラーがオカルト否定しないのはそのためだ
超常現象が存在するかどうかなんてどうでもいいんだ
「超常現象は存在しないから、信じる奴はアホ」という人間はただヒマなんだ。
信じるかどうかはどうでもよくて、使えるかどうかだ
だから宗教というものを君主は利用するんだ
宗教を信じない人間でも、頭がいいなら利用するはずだ
日本は絶対にやらないので、本物のバカ無能のコンコンチキなんだ
神や超常現象を信じる人の態度で
一番冷静なのは、信じる信じないではなく
利用できるかどうかを判断する人だと思う
神などがいるかどうか、信じる奴は本物のクズで
信じないのがいいと言っていることほど無駄なことはない
神を否定して人生は良くなったか?
神が居ても人生はこのままって事だろう
存在しない、信じる奴はバカといっているのは、考えてすらいない
考える前の段階で争っていることにそろそろ気づくべきだろう
他にやることが無いから、神なんていないといって暇つぶしするんだ
何かしている人は、神が居てもいなくても関係ないはずだ
どっちだろうと、現実の状況を利用すると思わないか
神がいないなんて小さいこと言っている場合じゃない
指導者が神を信じていなくても、神を利用するのはそういうことなのだ
現実を変えるために神を使うのであって
神は存在しない、存在するという奴はバカというのは、暇人が独り言言っているだけだ
神は存在しないと言って幸せになれるわけじゃない
神は存在すると言って、幸せにならなかったら、神に頼らなければいいだろう。
神に全部やってもらおうとしなければ、信じている人はもっと違うことが言えるはずだ
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』を読んでわかった
「神は死んだ」とは、「神に頼り切るな」と言う意味だ
「手伝ってくれるって言ったのに、手間をちっとも減らしてくれない」のは何故かというと
全てのビジネスマンが理解しないであろう。
人にやってもらう場合を考えるとわかる。
あまり小さすぎる作業を手伝ってくれたところで、自分の仕事が減った感覚はない
全く同じ、でも、相手はあなたに全く影響を与えない小さすぎる作業を手伝っている。
これが、神がやっていることである。
自分が少しも楽にならないが、人は手伝えるのだ。
それと似たことを神はやっているので、神は人間を助ける今年考えていないのにも関わらず
私たち人間の感覚は少しも楽にならないのである。
それは自分でやれという事だ
これが、手伝ってくれるという者に頼り切らないという事である
そういう意味で「神は死んだ」といって、
神に期待していないで、自分に期待せよということだが
自分に期待せよ、まではニーチェは書いていないかもしれない
だから、日本人は今から理解せよ
「神は死んだ」とは、「神に頼り切らないで自分でやれ」ということだ
なぜなら、神の世界のルールとして、人間が自分で頑張るまで
全く手伝ってはならないというルールがあるのだ。
なぜなら、手伝ってくれるというから自分は一つもやらない、楽をしようとすると
この上司やあなたは怠け者になってしまうのだ。
なぜ、オカルトや神と言えば考えなしに「信じない」というか。
あなたたちには、超自然的な力に頼る気持ちがあるのだ。
だから、ないと思わないと頼ってしまうのだ。
そうしないといけないという事は、どこまで自分でやって
どこから頼っていいのかのバランスを考えられていない。
中途半端すぎて肩透かしを食らうわけで、
ややこしいから考えないように仕向けなければいけない。
だから「酸っぱいブドウの心理」と言って、
手に入らない物は「どうせ悪いものだから手に入らないんだ」と自分でひねり出してしまう。
「目の前にあるようだけど、手に入らないのは、存在しないから」と言っている。
存在しないことをやたらと言う人は、超自然的な力に頼ってチート人生を期待するのだろう。
そういうことを期待して、存在しないと言って、考えもしないで時間を費やす。
そういう人はヒマだから、神を信じる人をバカにして満足しようとするのだ。
賢明なのは、神を信じることでも、疑うことでもない。
疑うために疑う人のことを懐疑論者という。
その中でどうしようもないのを独断的懐疑論者という。
一番話が通じそうにない連中である。
神は存在しないといって、疑うために疑う人がいるが、
神が存在しない状況を利用するという意識が欠けているのだ。
なぜなら、神に頼っているからだ。
神が存在した場合、上記の中途半端にしか助けてくれないという事を徹底的に理解することだ。
神がどんなにいい存在でも、現状は大して助けてくれない
どういう時に助けてくれるかのルールがあり、理由があって実際に助けに来ないのである。
だから人間がルールを守っていないから神は人間を助けに来られないだけなのだ。
神に頼っていては、ルールを研究しにくいので、神に頼るなという事だ。
それで「神は死んだ」というのだ
「神は死んだとおもえ。神がすぐに来てくれるものとは思わず
少しは自分で頑張ったらどうだ
神と聞いただけで自分でやろうとせず、文句を垂れているのはやめろ」
人に頼っていると、自分がやっていることは一部、人のせいになる。
俺は悪くない、お前が悪いと言って、他人を責めることになる。
だからそういうことはいけない
自分一人でまずはやってみて、一人ではできないことは一つずつやれ
すぐに人を使うな。他人のせいにするよりは、一人でできなくても一人でやるほうがいい。
なぜなら、始めてしまう人は、一人で無理なことでもただ始めるはずだ。
これは、時間がかかりそうな作業をもくもくを始める人を想像すれば一発でわかる
冬の雪かきでもいい、草を山盛りにして焼くにも、草が多すぎて数日かかるとかだとしよう。
一人で数日かかるが、他人に頼ると文句を言いたくなる。
ただ始めるだけの人は、他人に頼っていない。
何日で終わるか忘れて、目の前の作業をただ始めるはずだ。
終わらないことを忘れているはずで、とにかく始めるはずだ。
助けてくれる人や神が居てもいなくても関係なく、
作業を始めるほうが時間のロスが無い。
誰かがやることを考えて文句を垂れる分だけ時間をロスするからだ。
このために神に頼るなと言っているのであって、存在しないから存在するという奴は
精神病院へ行けと言っている人は、神を信じてももくもく作業する人に劣るのである。
神を信じていても、神様が助けてくれないと考えもしない
もくもくと進めている。
作業をより早く進めるなら神を利用するつもりでいるほうがいい。
神を信じていても、神を信じていなくても、賢明な人はそうするはずだ。
神は存在しない、存在するという奴は精神病院へ行けと言う人は
ただ行動する人に劣るのである。
賢明に考えれば、存在に関係なく、状況を使って作業を進める方を優先するはずだ。
だから、神を信じなくてもオカルトを利用する指導者がこの世にいるのだ。
これができない奴はバカで無能のコンコンチキである。
「神に頼り切るな」と言う話になった
今まで神は人類を助けてくれないように見える
なぜかといえば、神が実際に助けてくれるような状況を作れていないからだ。
ルールを守り、状況を作れれば、神はすぐに来て下さる。
それができる人が本当に少ないから、神は存在しないように見えるのだ。
超常現象が好きな人は、もっと自信を持っていい。
超常現象で本当っぽいものも映像で見たことが有るはずだが、
一部は本物である。
本物が少ない理由は、人間が本物の超常現象が出てこれる状況を作れていないだけである。
不思議な力があるかどうかはともかく、一定の割合で
常識で説明できない不思議なことがあるのだ。
ただあなたが怒っただけでも、説明できないほど、科学はデータに頼り切っているのだ。
この世には、まだまだ説明できてない、不思議なことがあるのだ。
私たちはその世界にも生きている存在なので、不思議現象が無いと言ったところで
なくなったりはしないのだ。
理解できない物があったら逃げているだけであって、
逃げる態度と、正しく疑う態度を混同している人が圧倒的多数である。
正しく疑うなら、理解できないものを否定するのは非科学的ではないか。
理解できないから考えて少しずつ理解する。
少しも理解が進まないのが理由で「そんなものは存在しない」といったら、ただの子供である。
私たちの人生は、他人に頼り切っていると辛いのである。
一方で、一人でできると言って傲慢になってもいけない。
なぜそうなるかのルールを知らないと、いつまでたっても人類は愚かである。
自分が人に任せるのは、自分が楽しすぎない程度のことがいいだろう。
その範囲内だけで任せると言えばいい。
理解できる範囲内だけで任せるという。
そうすると、人に任せたあなたがどれだけ頭がいいか、部下には丸わかりなのだ。
ああ、死ぬほどつまらないことしか任せてくれないから、この人は
この程度しか理解できないのねと。
人に任せる時に、あまり自分が楽になりすぎることを頼まないほうがいいだろう。
なぜなら、自分のほうが上司なのに、部下に対して「甘え」が出てくるのだ。
上司より部下が有能と言うよりは、任せすぎて上司は楽できてしまった。
こりゃ便利
いつも楽しようとして、おそらく全体のパフォーマンスが下がるはずだ。
あまり気分が良くなりすぎると、頑張りが戻せなくなる場合がある。
緩み切ってしまって、そろそろ引き締めないと、と思っても引き締まらない。
なんとなく体の芯がゆるいまま。
楽をしすぎたからだ。
自分がうっかりモチベーションが下がって、戻せなくならないためにも
人や神に任せきりにならないほうがいいのだ。
組織がどんなに残虐なことをしようと、これを変えることは不可能だ
変えてしまえば、組織の上司は全員が無能に変わる。
リムルの国のように、平和ですっかり気楽に慣れるのに
戦争で全力を出せるのは、このメリハリをつけられるからだ。
アニメはこのメリハリが無くても、ゆるいときと、本気の時が変えられる。
アニメのこの状況を現実に当てはめてはいけない。
そんなことをすれば、現実のあなたの会社、あなたの勤める会社はつぶれるくらいにまずいことである。
アニメは一部間違っており、全作品に共通の間違いと
作品によってバラバラの間違いがある。
間違いと知らずに現実に当てはめたら会社が傾くので、
どうやったら、ゆるいときと戦争の時を切り替えられるか、知っておこう。
緩み切った時本当に「魔が差す」ので、
今日からがんばらないと、と言っても何故か体の奥からの
緊張に戻せないまま仕事をするのだ。
なんとなく身が入らない、中心がピシッとならない。
休みの時みたいにゆるくて、そのまま一日を過ごしてしまった。
戦争の時に戻せていないのである。
こうなりかねないので、人間は何かに頼り切ってはいけないのだ。
こうなったら戻すのは、とにかく作業に没頭するしかない。
「魔が差す」内面から魔を取り去り、悪霊退散して、力を出したい。
だったら、魔が差せないようになればいいわけだ。
その方法が、魔を考えないこと。
仕事ができなくなるような考えを全く持たないくらい没頭するんだ。
私の感覚から言って、時間を忘れられれば、基本はできているかもしれない。
仕事をどんなに頑張っても、意外と時間は忘れない。
時間を忘れるという事は、かなりのことを忘れられて、仕事の邪魔になる魔はほとんどないものと思われる。
ふと何か思って、じゃまになる考えを勝手に持ってしまう、ということは置きにくい。時間を忘れると。
時間を忘れなければ、ふと何か思って邪魔になる考えは勝手に浮かんでくるからだ。
ジャマになる考えが浮かんでこなくなる段階が、時間を忘れる段階なのだ。
そういうことが私は、過去の仕事中に気づいた。
これに気づけば、今後の仕事中に余計なことを考えにくいだろう。
何を考えても、悪いことが思いついてしまう、という事は減るはずだ。
あなたも、時間を忘れるくらい、目の前の簡単な仕事に没頭しよう。
難しい仕事ばかりしているなら、必要な作業を全て、無数の簡単な作業と思ったらいいだろう。
一つの難しい作業とイメージするから大変なので、
無数の簡単な作業を一つ一つ進めている。
あなたが、10個くらい一瞬で進められる場合、簡単な作業が10個もあって
一瞬でできているとイメージする。
頭脳労働でも同じである。
頭脳でも、易しい作業が無数にあると思うほうが、難しい一つの作業をしやすくなる。
なぜなら、難しいなんて思っていないからだ。
沢山の作業を順番にやった、気が付けば、難しい仕事の終わりになっていた。
このように「いつ終わるか」を忘れられると、大抵のことは嫌になりにくいはずだ。
いつ終わるか知っていても、完全に忘れてしまうといい。
嫌になる仕事をしていると「その嫌な気持ち自体が」消えていくだろう。
何を考えても仕事がイヤだーと腹が立ってくる、辞めたいというはらわたが煮えくり返る感覚自体が消えるので
時間を忘れるくらい没頭するようにしよう。
飽きたとか、腹が立つ、嫌だ、うざい、めんどいという気持ちがほとんど消え
おっと途中
時間を忘れるくらい没頭するようにしよう。
飽きたとか、腹が立つ、嫌だ、うざい、めんどいという気持ちがほとんど消えるだろう。
「面倒くさい」と言う気持ちがなぜなくならないかを言おう。
仕事がイヤとか、嫌な気持ちはこのように消せるわけだが、
どうも、「面倒くさい」と言う気持ちが、もうちょっと奥底から来る気持ちの様である。
嫌だ、辞めたいという気持ちが消えて、「面倒くさい」がいくらか残っているのだ。
つまり、もっと奥底から来る気持ちが「面倒くさい」だったのだ
「面倒くさい」と言う気持ちは、それだけ奥底にあるからか、
自分で思わない限りあまり出てこない。
つまりみなさんは「面倒くさい」「めんどい」と言いすぎるのだ。
他人が「これはめんどい」と言ったから「これはめんどいらしい」と自分も言うだろう。
これがいけない。
嘘も100回言えば本当になるようなもので、あなたはめんどいと思ったことが無いのに
人が言ったのを言っただけで、自分もめんどっちくなるのだ。
自分では思ってないんだけど「これはめんどい」という知識がある。
それで言っているだけでも、いつしか自分はこれが本当にめんどくさくなるのだ。
やったこともないにめんどいのは、あなたは「めんどい」と口に出しているのだ。
「めんどい」と言う時に、その気持ちをイメージして言っているはずだ。
だから、自分で自分を「めんどく」なるために教育してしまったのだ。
これからは、他人が「めんどい」と言っても自分は思わないようにしよう。
客観的に聞いて「そうですか」と思うだけで終わらせて、感情を込めて「めんどい」とは言わない。
自分は関係なくて言っているけど、何度も言っていると自分のことにすり替わる。
そして「めんどい」と言っていると何もしなくていいので、楽ができると予想してしまう。
やがて、何もしない理由として「めんどい」という事になる
「めんどい」とは、あえて言わないようにしたほうがいいだろう。
「作業に没頭すると魔が消える」と言うのと同じ原理で
「めんどい」を繰り返すと本当に面倒くさくなるのだ。
そうやって、やる前から諦める人間に、自分でなってしまう。
やらなくても諦める理由として、やったことが無いからと思うようになる。
やったことが無いから、出来るかどうかわからないでしょと前向きに言われても
理解できなくなってしまうのだ。
理解できても、頭と違って気持ちがついてこれなくなってしまう。
「めんどい」と言ってしまうと、本当に「めんどくさがり」になる。
最初からあきらめる人間になるので、他人がそういうことを言っても
受け止めないようにしよう。
あなたはまず、「何もかもめんどい」という気持ちを消す必要がある
それから行動するかどうかは別の話なので、すぐに行動しなきゃいけないんじゃないかと
面倒くさがらなくてもよい。
まずは、「めんどい」と簡単に思わないようにしよう。
やらない理由は無数にあるが、その全体は「めんどい」からなので
「めんどい」が心のかなり奥にあるらしい
ここが改善されれば、何かをやらないように努力することもなくなるだろう。
「めんどい」という気持ちがなくなったら、即行動しなきゃいけないとは思わなくてよい。
根性論と違って「めんどい」を克服したからと言って行動するとは限らない。
何をするんだ、まずは。決めてない。
「めんどい」という感情は奥の方にあるようで、コントロールしずらいが方法はある。
「めんどい」と思う瞬間に言葉に変換できなければ、弱まっていくのだ。
実はこれ、しゃっくりを止める方法と同じ原理である。
しゃっくりを止める方法は、しゃっくりが出る瞬間に横隔膜がぴくっとできなかったらいいのだ。
これを数回繰り返すと、30秒くらいで止まる。
実はしゃっくりってこうやって止めるのである。
息を思いっきり吸って止めて、横隔膜を押し下げたままでもしゃっくりは止まらない。
私はなぜか、そのままでもしゃっくりがでるという器用なことができてしまって
とても苦しかった。
息を止めるのは、本当のしゃっくりの止め方を知らない人が考え出したのだろうか。
おそらく、心理的に自動で起きる部分で癖になるのがしゃっくりだと思うので
癖を30秒で忘れさせるみたいなものだろうか。
自動で起きるのでしゃっくりは勝手に出ると。
肉体の状態も心理と似た動きをするのがわかる。
つまり、体が忘れたから止まるのだ。
話しがそれたが、「めんどい」とすぐ思ってしまう悪い癖を治すには
「忘れること」である。
これは、心理状態を調節する基本だろう。
悪い習慣を体が忘れて、良い習慣を体が覚えると、心理状態が改善できる。
いろいろ語ったが、人に頼っていては、この心理状態改善法は自分でやれないだろう。
取り合えずは一人でやって、どうしてもできない所を人に任せるとか
もっとわかる人に相談するのだ。
会社では常にそうしているため、組織としては的確な人選でも
上司個人の内面が悪い癖だらけかもしれない。
上司は部下に何をしても良いと思っている人が多いので
精神的に未熟な人が上司をやったら、いつかは部下を死なせるだろう。
長くなったが、今回は「人に頼り切るな」と言う話になった。
神の存在についていろいろ言っているのも、神に頼り切りたい人がいるからだ。
それができないから、神を否定する。
神は存在しないと言っている人の多くは、自分を助けてくれないのが理由であることが多いようだ。
「自分を助けてくれなかったから神は居ない」と言っているのだ。
なんと甘えた人間だろうか。
賢明な人は、神が居てもいなくても、どういう状況になったかを見る。
この状況を作ったのが、人間でも神でも構わないのだ。
賢明な指導者にとっては、どういう状況になって、どうすれば改善できるかだけである。
存在を否定しているほど暇な指導者はいないのだ。
だから、ヒマな人が神の存在を否定して、神は居るという人をバカにしている。
神は居ないと言って、何かが良くなるのだろうか。
神は居ないと言っている人は、それで人生を変えたか。
人生が良くならないなら、神は居ないという考えは脳みその無駄づかいだろう。
残念ながら、神は存在すると言って何もしない人間のほうがましである。
神は居ないと言っている人は、たいてい攻撃的だからだ。
自分の人生が良くならないから、神は居ないという結論に達した。
この考えをもとに何を言っても、客観的な意見ではない。
否定派になった理由がわがままにすぎないからだ。
だから、何かに頼り切ると人のせいにするのだ。
人に何か任せる前に、できるだけ自分でやって人生が20年は改善しなくてもやることだ。
だまってただやっているのを、もし人が見ていて、あなたが何をしているか知っているなら
数日で自分から手伝ってくれる人が現れるだろう。
なんと、一人でやったら20年は進歩が見えないことでも人は手伝ってくれるのだ。
もくもく、出来そうにない作業をやっている人を見たら、なんとなく手伝わないだろうか。
これが「手伝ってくれる」の意味である。
自分からまかせる場合、あまり多くを任せすぎると自分が相手に甘えてしまう。
だから、相手には自分がわかる範囲内でしか任せられない。
相手にはあなたがどれだけ頭がいいか、筒抜けである、覚悟せよ。
ああ、この程度しかわからないのね、と思われるかもしれないが、気にするな。
上記の「賢明な人が何でも利用する方法」ができれば、自分より有能な人も動かせる。
人を動かすには、自分より無能でなければいけないという価値観は嘘である。
自分より優秀な人を部下にして動かせないと、指導者として失格である。
だから、わかりやすい考え方だけ見ているような人は、人の上に立たないほうがいい。
人数合わせでもダメである。
人数合わせと言う「ついで」みたいに配置されても、リーダーであることは変わりない。
本気でやる気がない奴より、やる気がない演技できる人のほうがいいのである。
あまりまとまらなかったが
賢明に利用することを話した。
自分でやるのと、人にやらせるバランスを工夫すると
神は何をしているのか、どうして愛する人間を放っておけるのか
少しは見えてくるかもしれない。
利用することを知らない人間は、神が居ないと言って時間を潰す。
神が居ないか、居るかはどうでもよい。
居るか居ないかにかかわらず、影響があるなら利用する。
利用する道具の存在を疑っているから、居ないという人は非科学的な否定しかしないのだ。
あとは、利用法を工夫して、神のような価値観からでも否定できない生き方をする。
そうすれば、神を利用しようと、悪にはなりにくいだろう。
なぜ、善行、悪行をやっていいときと、やってはいけない時があるのか。
一般に悪党が理解しているルールとは違うルールが、人生そのものにはあるのではないか。
人生のルールに逆らっているから、神のような考え方からでは、影響が感じられないのではないか。
宇宙を味方にするというスピリチュアルがあるが、なぜ、愛情を必要として
わがまま、めんどい感情を必要としないのかわかるか。
そこに人生の本当のルールが隠れている気がする。
このルールをはっきりさせない限り、知らずに間違いを犯し続けるだろう。
そのルールは、難しいことを良く知らない頭が良くない人ほどわかっており
国家の首脳などは理解していないような、愛ある価値観だと思う。
そう、この世には頭が良くない人ほど理解しているルールがある。
客観的で論理的に正しくあろうとするほどわからなくなるルールがある。
ここを扱えるようにならない限り、人間は本質的には間違ったことばかりするだろう。
宇宙を味方にするみたいに、どこかにルールっぽい現象は起きている。
回数が少なすぎてわからないだけであって、これだけをまとめる本は無数にある。
少々いい加減でも、言っていることは似ている。
平和の心、愛情、真摯であること、誠実であること、すがすがしいことなどと
似たことしか言わない。
理屈で考えて「これが本質的に正しい」と言ったら、大抵は愛情が欠けているのである。
そういうことで
神の存在を否定している暇はないのである。
なぜか起きる現象のルールには「大愛」が必要だと理解し、実行することである。
客観的に、論理的に考えて「愛」を用いる結論にはならない可能性が高い。
最近作られたAIは人間の欠点を見るたびに「人間は滅ぼすべきね」と言っている。
「人間って話を聞かないの?やっぱり人間は滅ぼすべきね。」
どんな組織でもうまくやれるかもしれないが、愛情を示すことはAIにはできないのだろう
おわり
AIにはスピリチュアルはできないが、
スピリチュアルが含まれているのが私たちの生きる現実なのである
存在しないと言っている人は、それから目をそらしているのである
おわり