めぐみちゃん、こんにちは。日本はとても暑い夏の日が続いています。そちらでは、どんな夏の日を迎えていますか。
お父さんとお母さんは年を取って、夏の暑さや日差しがいよいよ辛(つら)く、苦しくなってきましたが、あなたが元気に日本へ帰って来ることができるよう日々、祈りながら、支えてくださる多くの方々とともに一生懸命、がんばっています。
きょうは8月15日ですね。日本人にとって特別に重い意味を持つ「終戦の日」から、72年がたちます。84歳のお父さん、81歳のお母さんも、戦争の記憶は心の奥底に深く、はっきりと刻まれています。
戦局が激しさを増したころ、お母さんは小学校4年生で初めて親元を離れて、京都府の山奥のお寺に疎開しました。街中しか知らない子供でしたから、大自然のこんもりした緑、山の香りはとても強く、印象に残りました。
そして、とにかく食べるものがなくて、本当にひもじかった。あぜ道を学校に通うときも、ずっと空腹に耐えていました。
皆、ひどくおなかをすかせているので、ふすまの焦げ茶色の取っ手が本物のチョコレートに見えてくるんです。「チョコレートがある!」と誰かが叫ぶと、皆が取っ手に押し寄せて、必死になめました。嘘のような話ですが、それぐらい飢えていたのです。
食べられるものは、何でもかんでも口に入れていました。山に咲くきれいなツツジの花の蜜を吸って、空腹をしのいだこともあります。あの甘みが、どれほどありがたかったか…。
戦争は、人間の生きる権利を奪う行為です。あのころ、多くの命が失われる中で、日常の光景全てが死に向かって動いていくように感じ、子供心に、とてつもなく恐ろしく感じました。
拉致問題も戦争と同じように、人間が幸せに生きる喜びを無残にも奪うものです。
今、北朝鮮は拉致問題を解決しないだけでなく、核やミサイルを持ち、破壊に向かって使おうとしています。北朝鮮の指導者は、それが意味する残酷で、恐ろしい現実を一日も早く理解して、本当に平和な世界に向かうべく、考えてもらいたいと強く願います。
難しい国際情勢はなかなか理解できませんが、さらに先行きが見えないように感じ、焦りと不安ばかりが募ります。
家族は長い間、「どうか救ってください」と叫び続け、すべての被害者が日本に帰る良き日を信じて、ひたすら待ち続けることしかできません。国、政府は、いかにして拉致被害者を救うのでしょうか。
戦争も、拉致問題も、あらゆる物事が死に向かって突き進んでいくことはまったく意味のないことです。天から頂いた命を無為に枯らすのではなく、生きていくこと、育てていくことの喜びを社会の中で実現することが、人間に課せられた使命ではないでしょうか。
一緒に暮らせたのはたった13年間でしたが、めぐみちゃんと過ごした夏にはたくさん思い出があります。
めぐみちゃんがいなくなった昭和52年。最後の夏にあなたは初めて浴衣を着て、友達たちと一緒に踊りましたね。新潟の大きな夏祭りで、佐渡おけさなどの民謡にあわせ、大勢の人が華やかに踊っていました。
あのとき着せた浴衣は、お母さんが街で反物を探して、初めて縫い上げたものでした。紺地に花があしらわれた浴衣に、手本を見ながら黄色い帯を結ぶめぐみちゃん。「途中でほどけないよね。大丈夫かな?」と、うれしそうに笑っていましたね。浴衣を身にまとったあなたは、とてもすてきでした。
「子供だと思っていたけれど、ずいぶん大人っぽくなったな」。妙に感心したことを、懐かしく思い出します。
夏休みといえば、不得意な「宿題」を乗り越えようと一生懸命、打ち込んだこともありましたね。
広島にいた小学生のころ、めぐみちゃんは水泳が苦手で、先生から「必ず泳げるようにしなさい」と、夏休みの宿題を出されました。最初は水をとても怖がっていましたが、毎日のように基礎から必死に練習して、短い間に、長い距離をしっかりと泳げるようになりました。
めぐみちゃんは普通の女の子に見えて、芯が強く、頑張り屋のところがありました。
http://www.sankei.com/premium/news/170815/prm1708150011-n1.html
(>>2以降に続く)
お父さんとお母さんは年を取って、夏の暑さや日差しがいよいよ辛(つら)く、苦しくなってきましたが、あなたが元気に日本へ帰って来ることができるよう日々、祈りながら、支えてくださる多くの方々とともに一生懸命、がんばっています。
きょうは8月15日ですね。日本人にとって特別に重い意味を持つ「終戦の日」から、72年がたちます。84歳のお父さん、81歳のお母さんも、戦争の記憶は心の奥底に深く、はっきりと刻まれています。
戦局が激しさを増したころ、お母さんは小学校4年生で初めて親元を離れて、京都府の山奥のお寺に疎開しました。街中しか知らない子供でしたから、大自然のこんもりした緑、山の香りはとても強く、印象に残りました。
そして、とにかく食べるものがなくて、本当にひもじかった。あぜ道を学校に通うときも、ずっと空腹に耐えていました。
皆、ひどくおなかをすかせているので、ふすまの焦げ茶色の取っ手が本物のチョコレートに見えてくるんです。「チョコレートがある!」と誰かが叫ぶと、皆が取っ手に押し寄せて、必死になめました。嘘のような話ですが、それぐらい飢えていたのです。
食べられるものは、何でもかんでも口に入れていました。山に咲くきれいなツツジの花の蜜を吸って、空腹をしのいだこともあります。あの甘みが、どれほどありがたかったか…。
戦争は、人間の生きる権利を奪う行為です。あのころ、多くの命が失われる中で、日常の光景全てが死に向かって動いていくように感じ、子供心に、とてつもなく恐ろしく感じました。
拉致問題も戦争と同じように、人間が幸せに生きる喜びを無残にも奪うものです。
今、北朝鮮は拉致問題を解決しないだけでなく、核やミサイルを持ち、破壊に向かって使おうとしています。北朝鮮の指導者は、それが意味する残酷で、恐ろしい現実を一日も早く理解して、本当に平和な世界に向かうべく、考えてもらいたいと強く願います。
難しい国際情勢はなかなか理解できませんが、さらに先行きが見えないように感じ、焦りと不安ばかりが募ります。
家族は長い間、「どうか救ってください」と叫び続け、すべての被害者が日本に帰る良き日を信じて、ひたすら待ち続けることしかできません。国、政府は、いかにして拉致被害者を救うのでしょうか。
戦争も、拉致問題も、あらゆる物事が死に向かって突き進んでいくことはまったく意味のないことです。天から頂いた命を無為に枯らすのではなく、生きていくこと、育てていくことの喜びを社会の中で実現することが、人間に課せられた使命ではないでしょうか。
一緒に暮らせたのはたった13年間でしたが、めぐみちゃんと過ごした夏にはたくさん思い出があります。
めぐみちゃんがいなくなった昭和52年。最後の夏にあなたは初めて浴衣を着て、友達たちと一緒に踊りましたね。新潟の大きな夏祭りで、佐渡おけさなどの民謡にあわせ、大勢の人が華やかに踊っていました。
あのとき着せた浴衣は、お母さんが街で反物を探して、初めて縫い上げたものでした。紺地に花があしらわれた浴衣に、手本を見ながら黄色い帯を結ぶめぐみちゃん。「途中でほどけないよね。大丈夫かな?」と、うれしそうに笑っていましたね。浴衣を身にまとったあなたは、とてもすてきでした。
「子供だと思っていたけれど、ずいぶん大人っぽくなったな」。妙に感心したことを、懐かしく思い出します。
夏休みといえば、不得意な「宿題」を乗り越えようと一生懸命、打ち込んだこともありましたね。
広島にいた小学生のころ、めぐみちゃんは水泳が苦手で、先生から「必ず泳げるようにしなさい」と、夏休みの宿題を出されました。最初は水をとても怖がっていましたが、毎日のように基礎から必死に練習して、短い間に、長い距離をしっかりと泳げるようになりました。
めぐみちゃんは普通の女の子に見えて、芯が強く、頑張り屋のところがありました。
http://www.sankei.com/premium/news/170815/prm1708150011-n1.html
(>>2以降に続く)