
【ハリルJアジア戦記】
日本代表は苦しみながら6大会連続のW杯出場を決めた。
バヒド・ハリルホジッチ監督(65)はアギーレ前監督の八百長疑惑による解任を受け、15年3月に緊急就任。
解任危機にさらされ続ける中、ロシア切符を勝ち取ったアジア予選の激闘を5回にわたって検証する。
初っぱなから不穏な空気が漂っていた。15年3月27日の親善試合チュニジア戦(大分)に向けて、
同23日にスタートした大分合宿。ハリルホジッチ監督就任後の初練習を終えると、ある主力選手が冷笑気味につぶやいた。
「子供じゃないんだからさ」。いきなり独自色を打ち出す新指揮官の方針に選手たちは戸惑いを隠さなかった。
ハリルホジッチ監督はピッチ内外で選手を徹底管理した。
これまで指定時間内に済ませれば良かった朝食は午前9時、昼食は午後1時から全選手がそろって食べるように指示。
テーブルは従来の円卓から全員の顔が見える長机に変更した。基本的に外出禁止で、選手同士の部屋の行き来も制限。
“シエスタ”と呼ばれる昼寝の時間も分刻みで指定した。
当時の霜田技術委員長は「食事時間、取り方、部屋に帰るタイミングも管理している。
宿舎で選手に、この時間になったら部屋に帰れとか指示をしている」と説明。
選手は貴重なリフレッシュの機会だった散歩もままならない状況に陥った。
ハリルホジッチ監督はコートジボワール代表を率いて10年W杯南アフリカ大会予選、アルジェリアを指揮して
14年W杯ブラジル大会予選を突破した。両国代表ともに監督就任直後は練習を遅刻や無断欠席する選手が続出。
規律を植え付けて強化に成功した自負があり、日本でも同じ手法を取り入れた。
だが、ザッケローニ、アギーレ前監督が選手の自主性を重んじていた影響もあり、水面下で不満は拡大。
チュニジア戦に2―0で勝って白星発進した裏で、火種がくすぶっていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20170902-00000082-spnannex-socc